今日は休日撮影ドライブで、古仁屋内ぶらり撮影から名瀬、笠利へ撮影ととても充実していたのですが、1ヶ所の事に絞ってお伝えします。

*当記事内容は集落の方には常識で、驚いている事が失礼かも知れません。ご容赦下さい。

古仁屋こにや(瀬戸内町) ⇔ 名瀬(奄美市)間をよく行き来される方はご存知かと思いますが、古仁屋から国道58号線を名瀬に向かうと住用町 ぐすく集落に差し掛かる手前の左手雑木林に古いお墓が1基見えていていつも気になります。僕と同じような方も多いのではないでしょうか。

古仁屋(南)から名瀬方面(北)へ向かうと、城集落で左の雑木林にお墓が(速度標識左脇の黄色)




幹線道路かつ畳み掛けるコーナリングポイントなので停まりづらいですが、今回思い立って安全なスペースを見つけ車を停め、入ってみました。



車で通りすがる時はなかなか1基しか見えないけど、奥にも少しありました


彫りは意外とまだシャープ




奥から道路に向かって。
レンズはシグマ 35mm F1.2 DG DN Art 1本で入ったので、画角は引けません






墓地奥の石垣跡(だと思う)


倒れた墓石




原型を留めて立っているお墓3基のうち1番奥には年代の文字が


明治八年…
明治四…
明治 二年…


別々の時に亡くなった方が同じお墓に入れられ、追記追記を繰り返したように見えます。

道路に面しているお墓にも年代の文字が・・・


!?


享保・・・?


調べてみると、享保きょうほうは、西暦1716年から1736年までだそうです!!?

享保2年だとすると、1717年。305年前です。江戸時代です。
個人的には歴史はてんで苦手なのでピンとくる目安はタイタニック号事故しかないですが💧、タイタニック号就航・事故が1912年。比べるまでもなく圧倒的に古いですね💧 すみません。上の墓石の「明治」の終わりが明治45年で1912年です。

「享保」は確実ですが、それ以降が不確かです。
「享保一」か「享保二」。その後何か2文字書いてます。しかも右寄せで。
そして「二月」か「三月」。
お詳しい方は解読よろしくお願いいたします。



もっと立ち入り難い奥の方にも少し墓石がありました。
写真では伝わりませんが、道路からガードレール越しに撮影していて、谷になっている所にあります








【翌日追記】

享保のあとの右寄せの文字は「いぬ」(年)に見えると思っていましたが、やはり「戊戌つちのえいぬ」と書いているようですね。戊戌=1718年=享保3年

墓石の文字はどうも「二」には見えても「三」の3本線はないように見えます。
数え年の関係だと思いますが、干支もズレるのか。