(学校 / 教委が)
「認めた」ではなく、「発表した」と報道せよ



前にも他所に一度書きましたが、あくまで“隠ぺいしていた訳では全くなくて”、自主的に記者会見等で「学校にいじめがあった」と発表があった場合、「いじめがあったと認めた」ではなく、「いじめがあったと発表した(or 記者会見した)」と報道してほしいです。



現在の報道では「認めた」が通例です。



「認めた」という言葉でこの件に与える印象では下記があり、
  • いじめがある事を認知した (発表以前の学校・教委)
  • いじめがあった事実を今まで隠ぺいしてきたが、遂に白状した (発表時)
前者の意味だったのならいいのでは? となるかも知れませんが、ここでの「認めた」は、必ず“いじめがあったと発表があった”時に使われます。
*後者の印象を与えるという事です。



この部分は想像ですが、マスコミは「学校・教委は、いじめの事実を隠したいものだ」という前提から使うようになったのかなぁと思ったりします。
でも、その先入観は仕方ないと思う程、酷い対応の学校・教委の事件がこれまでにもいくつもありました。



早急な記者会見にて、しかるべき対応を取っていくと言っている真っ当そうな校長の発表を「認めました」と報道するのは違和感があります。



関連で、教委などは悪い対応がなかったと思われるのに、“謝罪”する事があります



誰に向けて、誰の為の、何の為の謝罪なのか、見る側もやる側も解っているのでしょうか。
ピンときてないのに“通例だから”謝罪したりしてないでしょうか。
実際見ていて、何の謝罪なのか解らないと思う事が多々あります。



つまり言いたいのは、
学校・教委は理不尽な責任を取らされる事がある為、いじめの事実を隠ぺいしたり、酷い責任逃れの言動をするようになり、悪循環が起こっている事があるのではないかという事。
面倒臭さから、いじめを止めなければならない現場で何もしてくれない件もよくあるようですが。



憎むべきは、いじめと、いじめるクソガキです。



僕はいじめられていました。
が、時代性なんでしょうか。地域性なんでしょうか。僕の場合は、先生達に守ってもらい、ちゃんと向き合ってもらったと思っているので、昨今の報道のいじめ事件の学校らの対応に驚きを隠せないのです。



いじめられっ子が望むのは、在学時に、徹底的に向き合ってくれ、守ってくれる先生と学校、平穏な学校生活です。
“おかしな学校 vs 被害者親”でも、死んでからの“市町、教委から勝ち取った慰謝料”でもありません。







「『いじめ』じゃなく『恐喝』『暴行』に言い換えろ」に(´・ω・`)?


  • 「いじめ」を、「恐喝」「暴行」「自殺幇助」
  • 「万引き」を、「窃盗」
事件がある度に「○○という言葉が軽く聞えていけない。(犯罪名)に言い換えろ」と言う人がいますが、僕は同調しません。

なぜならそれが軽く聞えないから。

「いじめ」も「万引き」もオブラートに包んでたり、柔らかく聞えたりしますかねぇ? (´・ω・`)
「いじめ」は恐喝などの繰り返しと誰でも知ってるし、「万引き」はお店での窃盗って誰でも知ってるし。
「万引き」にそれ以外の意味があれば問題ですよ。「勉強しまっせ」みたいに全然別の意味があれば。でも万引きは万引きの意味以外存在しない。「いじめ」も(ry

言葉狩りの起こる時の風潮と同じだと思います。日本人って言葉の意味を狭めるの好きですよね。

酷いいじめをやられたり、見聞きしてこず、なお想像力の乏しい人の主張なのかなと思ったり…。「いじめ」という言葉に柔らかい印象を抱いているって事ですもんね。
そして「万引きが軽く聞こえる」は「時効だと思うけど、少しやってた(ゝω・)☆」ってクチ…?